今回のバスツアーでは、東北まちづくりオフサイトミーティングの方々と登米市南三陸フェスティバルで合流し、東京からのメンバーや現地合流した方々あわせて52名で行動しました。
28日に参加された仙台市の紺野さんとオフサイトミーティングを主催されている後藤さんからレポートをいただきました!以下のとおりご紹介します!
記
仙台市 紺野哲成さんからいただいたバスツアーのレポート
【概要】とくに印象に残った点を中心に
1.防災・災害対応
(1)チリ地震津波のときの経験がかえって被害を広げた可能性がある。
・そのときの津波の規模が基準になって判断したため。
(2)助かったケースは、ルールではなく自分で判断し、行動した場合のことがある。
・普段なら屋上で良かったものを、山に誘導した判断があったために、助かった命がある。一方通行を反対に行って逃げたために助かった命がある。
・普段のルールや取り決めを、緊急時には行政に関わる者(公務員)が何を大切にして、どう判断するかが問われることがある。
(3)歴史に残る佐藤正助教育長による「校舎は高台に」という英断があったこと。
・当時は不便なところに校舎建設をするということで反対もあった。
・歴史家でもあった佐藤教育長は、津波の危険性を鑑み、校舎を高台にした。
「誰も褒めてくれない!」
(4)支援物資の需給の一致が難しい。
・FBやTwitterで野菜が不足しているとコメントされると、大量に届いてしまったりする。
・自分の送りたいもの、したいことではなく、相手が何を望んでいるかを知る・考える必要がある。
2.登米・南三陸地域の現状
(1)ハードウェア面ではあまり変わっていない。
・報道されていないから、都内では復興が進んでいるんだと思っているかもしれないがそんなことはない。取り壊されずに残っているものも多い。
・また、津波の被害のあった病院の建物に通っている人もいる。取り壊されたら通えなくなる。
(2)この夏の海水浴場は気仙沼の一箇所のみ。つまり、夏の海の観光による復興はできない。
(3)風評被害がある。米の検査は特に入念にしているが、取引ができなくなっている例もある。
(4)事業者によって、復興レベルが異なる。利益が出せるところまでいっている事業者もあれば、出荷することがやっとという事業者もある。
(5)仮設住宅として登米に来て、このまま住みたいという人もが増えている。
・60才を過ぎて、また家を建ててというのは困難。
『事実を知ってほしい。これからが本当に支援をしていただく必要がある。』
3.地域間協力、観光協力
(1)登米と南三陸
・震災前からの交流がある。人間的つながりもある。
・登米の観光物産協会の設立に際しては、南三陸町の観光課や協会に教えてもらった。
・山のものと海のものとの組み合わせが、物産や観光としても相互補完にある。
(2)あえて宮城・岩手の県境をなくしての観光ガイドブックの作成
・世界遺産の平泉もいれて、パンフレットを作成している。
・岩手県南(住田町、大船渡市、陸前高田市、一関市、平泉町)、宮城県北(栗原市気仙沼市、登米市、南三陸町)をひとつの地域として。
・各地域の担当者間での交流を深めている。
4.震災前の課題の顕在化
・雇用や医師(病院)の不足、少子高齢化は震災で起きたことではなく、震災前からの課題。
上記以外にもいろいろと議論やお話、質疑応答がありました。
【所見】
都庁の方々をはじめ、多くの方々がバス移動の疲れを見せず真剣な表情で考える姿に刺激を受けました。きっと、それは「若さ」だけではないでしょう。また、エネルギー溢れるチアリーディングやダンス、もっと多くの人に見せてあげたいとも思いました。そして、数多く重ねただろう練習。驚きも提供できる面白さ。一緒に昼食をしたときには、普通の若い公務員に見えた3人があんなふうに踊るなんて。
<各論>
1.防災・災害対応
・緊急時の公務員の判断。これは、消防や医療に携わる人間以外も問われることを自覚する必要がある。
・何を大切にして判断するか、かといって責任回避の判断停止はNG。
・記録や記憶で追体験すると同時に、普段の訓練が重要と感じる。
・また、施策には「歴史的な評価」という軸があることを、普段もう少し意識しても良いと感じた。仙台市の戦後の植樹の話とも共通する。
・今の名誉、報酬、単年度の成果ばかりを求めず、自分の仕事が根拠のある正しさがあれば自信を持って取り組むべき。
・思いつきや思い込みはNGだが、佐藤教育長のような歴史家としての判断を加味した施策には敬意。
2.登米・南三陸地域の現状
・私はTVを持っていない、見ていないのだが、被災地にとっての懸念は、誤った思い込みや偏った情報。そして関心度の停滞。
・実際に関東圏でのマスメディアの露出度はかなり減っているとの話あり。
・大きな「報道」とは別に、こうしたリアルとインターネットとを通じた、人の関係からの情報が、新しい「世論」をつくる。こちらの可能性にかけたい。
3.地域間協力、観光協力
・ガイドブックを見て、南岩手と北宮城をマップにして観光客に提示することは、とても合理的と感じた。
・社会経済圏、観光圏としては、県単位で考えるよりもはるかに、正しいと思う。
※今の都道府県ができる前にあった、水沢県の県庁所在地は登米。
http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/huken/k-tohoku.htm
・新幹線を縦にそこから横に各地域を見るよりも、ひとつの社会経済圏、観光圏として、充実させようという、県を越えた取り組みは嬉しい。
・あとは、実際に観光しやすい交通の便やルート、ブランディングの開発。
・文化・言語圏も含めた歴史的つながりなどの情報もほしいところ。
・どこかで誰かに県境は引かれたとしても、引かれた県境を前提に考える必要は無い。線を越えて、相互に協力補完することでより新しいアイデアも生まれる。
・アイデアを生んでいく活動そのものが、また、人と地域の活性化を生む。
4.震災前の課題の顕在化
・持続可能な産業→雇用の難しさを改めて感じる。
・外部の人間も取り込みつつ、その地域の再発見を繰り返し、外部にも訴求。こうした活動から、産業→雇用に結びつけることが近道。
・補助や一時的に大きな資本への依存度を高めることは、社会経済の継続性という意味での効果を得ることは難しい。
上記の考えは、参加者に共通した考えだったと思う。
というわけで、仙台市役所の食堂に「登米ポーク」がなぜかあるかという背景が分かった、というおまけまでついてきた、充実した一日でした。
※仙台市のメンバーには、仙台市の食料自給率と登米の関係について、別途お話します。日常的に消費する側には気がつかないことも多いですね。。。
* * *
地域と地域とが出会い、ともに課題を考えていくような機会を作ってくださり、ありがとうございました。東京の職員の方々の自然さと真剣さとが両立している雰囲気が、接していてとても気持ちが良かったです。
<山形市 後藤好邦さんから>復興支援のキーパーソンからのお話などについては紺野さんからご報告していただきましたので、私の方からは登米市の布施市長のお話についてご紹介したいと思います。
質疑のなかで、私から「若い自治体職員にメッセージを送って欲しい」とお願いしたところ、非常に良いお話をしていただきました。
・思ったことは口に出す。
・夢を持っていても、口に出さなければ何も始まらない。
・口に出せば、その言葉に誰かが共感してくれる。
・人との関わりのなかで物事は生まれていく。
・自治体職員として自分の仕事に誇りをもって欲しい。
・自分が携わっている仕事、その先にある人のことを考え仕事に取り組んで欲しい。
・やりたくない仕事に携わることで、隠れていたスキルや新たな気付きが得られる。
・やりたかった仕事だと、あらかじめ成功する姿が想像できる、だから成功した時の感動も薄い。
・仕事がうまくいった時の感動は最後の一瞬。
・それまでのプロセスのなかでいろいろな人と関わり自分自身を変えて欲しい。
登米市長のお話は自治体職員に限らず、すべての方に参考となる話だったと思います。
最後に、登米市長の前に話をしていただいた震災の語り部の方についてご紹介します。。
彼女からお聞きしたことは心に直接何かを突き刺されるような内容で涙が溢れました。
そして、最後に話されたメッセージが今でも心に残っています。
「自宅に帰ったら、家族にありがとうと言ってください。そう言えることは決して当たり前のことではありません。それが言える幸せをもう一度感じてほしい。言いたくても、そう言えない人もいます。」
最後の言葉を肝に銘じていきたいと思います。
以上
バスツアーを通して、応援をしに行った我々が元気をたくさんいただきました。
バスツアーの次回のレポートは、東京からの参加者からを予定しています。
乞うご期待!!
T2S事務局・広報担当
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