2012年8月3日金曜日

【報告】東北応援バスツアー・被災地の今を見つめた48時間レポート(1)

震災から505日。被災地の今を見つめ、応援したい。

復興の現場から学び、実践したいという思いの下に集まった40名以上のメンバーが、被災した南三陸町と隣接している登米市に向かい、現地で様々な復興活動をしてきました。今回の東北応援ツアーで彼女ら、彼らが体験してきた48時間について報告します。


○今回のツアーのポイントは、2点ありました。

①これからの復興のために、まずは現状を知り友情を育もう。
 被災地の復興は長い年月を必要とします。継続的な支援をするために、現地で直接、当事者からニーズ、抱える課題を聞き、共有します。被災地に勇気を与えるのは、共に悩み考えてくれる「友人」が周りいてくれること、という観点から。私達は「応援する友人」であること示すため現地に向かいました。

②ともに立ち上がろう!東北×東京×南三陸の連携を活かす。
 三人寄れば文殊の知恵です。被災した現場の人、被災地の近隣で支える人、首都圏の都市の人。三位一体となれば、よりよい復興活動ができると考えています。いま復興で頑張っている人達の活動から学び、つながり、復興の新たなイノベーションを起こす。このツアーをきっかけに、東北を中心とした、日本全体の復興を目指すための仲間をつくり、連携するため、現地に赴きました。

○「楽しく東北の復興を応援する」ということ

7月27日午後11時00分。

被災地を応援したいという思いを乗せたバスが、現地に向けて出発しました。片道6時間超の移動中、車中では参加者の自己紹介と併せて、「今回の現地入りに対する思い」と「持って帰りたいもの」について、各人が思い思いに語りました。

今回のコンセプトは、「楽しく」東北の復興を②「応援する」ということ。これは、震災から505日が経過し、復興支援としても次のステージが求められる段階にある、という点を踏まえた結果です。震災直後は、多くの人が被災地のために何かしたいという思いに突き動かされ、現地にも多くの人が訪れました。しかし、震災から505日が経過した今、ピーク時のような関心は残念ながら薄れ、「被災地がメディアで取り上げられなくなった。テレビの露出も確実に減った」(登米市物産協会・三浦局長)という声も、現地からは聞かれます。

 
また、現地で求められるニーズにも、変化が起きています。震災直後は、とにかく実働人員、実物支援などの絶対量が不足していました。しかし、震災から505日経った今、現地で求められているのは何かを、我々は考える基点に来ています。「現地では野菜が足りないらしい、という投稿がSNSでなされた途端、仕分けしきれないほどの膨大な野菜が届いた」(現地関係者)という声からも分かるように、まず現地に飛び込むことで、「今の」現地に求められているものを把握する必要があります。


こういった課題を克復するスキームとして、まずはボランティア等の参加者が、より一層のやりがいと誇りを持って取り組むことのできる仕掛けづくりをすることで、現地の悩みの種である参加者数減に歯止めをかけ、「現地の今を知る人達」を確保することに加え、被災者や支援者といった立場を超えた、みんなが楽しく元気になれる、新しい発想の復興活動の形を考えるツアーでもありました。その活動のコンテンツとしては、「応援」というスモールスタートから「支援」につなげるという点をミックスすることで、より多くの人を巻き込んでいくロールモデルを検証する狙いもありました。

28日午前7時40分。

南三陸町と隣接する登米市に到着しました。今回のツアーの目玉の一つは都庁チアダンス部・Lilly gullやブレイクダンスによる復興応援パフォーマンス。この日のために約3ヶ月間、彼女らは猛練習をしてきたとのことです。

慣れない車中泊であまり眠れなかったにも関わらず朝練を敢行。他のツアー参加者もハンド・クラップの練習で一体となって練習し、本番に備えました。

 
○東北を元気にしている人達との合流

チアの練習後、登米市公民館で東北を元気にしている方々との交流会のため、会場設営をしました。その後、登米市役所から、初日のパフォーマンス会場である登米・南三陸観光物産・震災復興センター(登米・南三陸フェスティバル)に到着し、東北まちづくりオフサイトミーティング(以下、東北OM)のメンバーをはじめ、全国から被災地に派遣されている仲間達と合流しました。

東北OMは、東北にある自治体職員が中心となったプラットフォーム。東北というフィールドでまちづくり・組織づくり・人づくりを目指し、官公庁のみならず民間企業の職員や学生など様々な立場の人が交流・活動しています。東京を中心に活動するT2Sと東北OMとは、地域こそ違えどその活動には互いに共感することがあり、今回のツアーでの交流は、双方にとって切磋琢磨できる機会を得ました。ちなみに、両者とも、地方自治情報誌「月間ガバナンス」(株式会社ぎょうせい)で紹介された間柄ということもあり(しかも、東北OMは2010年7月号、T2Sはその翌月8月号)、彼らとの合流は大いに盛り上がりました。

その後、登米市観光物産協会の阿部会長・三浦会長はじめ、被災した南三陸のために隣接した登米からできることを考えている人達との交流となりました。

登米・南三陸フェスティバルのオーナーでもある物産協会の阿部会長からは、「一生涯をかけて南三陸の復興に全力を注ぐ」「緊急時こそ、柔軟な対応が求められる。若い皆さんには、そういった感覚をもってもらいたい」というお言葉をいただきました。また、三浦局長からは、「被災地の今を知って、一人でも多くの人に正しい情報を伝えてほしい」「現地で何が必要とされているのかを、見つめてほしい」と、復興支援活動を考えるにあたって、とても重要なヒントをいただきました。

被災地を思う全国の仲間達と東北で出会い、繋がる。この縁を、今回の被災地応援のみならず、日頃の仕事や今後の社会人生活に還元していきたいと感じました。


○復興活動から学ぶという姿勢

午前10時30分。

ツイッター中継担当の岩崎ポスト(右)は記録カメラも担当。

交流会の途中でしたが、この2日間のチアダンスやブレイクダンスのパフォーマンスを告知するため、地元コミュニティFMラジオ「H@! FM」(はっとエフエム)の地域情報番組で周知しました。会場の外には、番組お馴染みの真っ赤なキャラバンカーが止まっていて、現地からイベントを生中継してくださいました。チアダンス部キャプテンからは、パフォーマー達の溢れる元気で被災地を応援したいという気持ちを、T2S広報からは、復興しつつある被災地のキーパンソンから学ぶという、今回の企画の趣旨を伝えました。また、この2日間、自分達は黄色いバンダナを付けている旨を伝え、現地の皆さんと仲良くなりたいので、黄色いバンダナを見つけたら気軽に声を掛けてほしいと呼びかけました。

12時00分、正午。

 
山の幸@登米と海の幸@南三陸のコラボ弁当
正午は、登米の山の幸と、南三陸の海の幸が一度に堪能できる復興弁当をいただきました。阿部会長のお話の中にもあったように、両地域の強みを活かすという戦略は、観光振興が鍵となっている両地域の予てから取り組みだということでした。世間では、震災を契機にこういった特段の復興活動がなされた、という文脈で捉えられがちです。しかし、阿部会長をはじめとした復興のキーパーソンの方々のお話を伺うと、ここ最近腰をあげたのではなく、もっと昔から両地域の間で普通に、自然に行われてきた交流や連携という土壌があり、そういった素地があったからこそ、磐石な地域力に裏付けされた復興活動がなされているのだということを知らされました。

両地域はそれぞれ平成の大合併で誕生した経緯にも言及されていましたが、震災(2011年)どころか平成の大合併(2005年)よりも前から、現在の両地域に存していた11町村の間では、それぞれの地域の強みを活かす交流・連携があったというお話しもあり、むしろ行政区分はあとからやってきた(登米市と南三陸町という自治体としての連携という捉え方は、ここ最近の感覚だ)という点は、特に印象的でした。

 

午後1時30分。

いよいよチアリーダー達による復興応援パフォーマンスが始まりました。会場には、家族連れをはじめ多くの人達が集まり、登米・南三陸フェスティバルに訪れた人達もハンド・クラップで参加し、一体となって盛り上がりました!

午後2時00分。

パフォーマンスの興奮も冷めやらぬまま、迫公民館にて、東北OMをはじめとした現地で活動している各プロジェクトリーダーの方々を囲み、雇用創出プロジェクトの経緯と課題について、意見交換をしました。









復興のアプローチは4つ。雇用マッチング、環境デザイン、商品開発、そして、復興教育。各プロジェクトリーダーがプレゼンをした後、各人がそれぞれ興味を持ったブースに移動し、グループディスカッション。最後に提言として発表しシェアしました。


午後4時30分。

我々がディスカッションをしている中、登米市の布施市長が多忙の中、会場に駆けつけてくださいました。急きょ予定を変更し、登米市長による基調講演をお願いしました。









布施市長のお話には、若い社会人たちはとても勇気づけられ、特に「最初から出来ないと思って仕事をしてはいけない。どうすれば出来るかを考えることが重要」だと、スピーチして下さいました。

○あの日、あの時を知ること

午後7時。
(注)写真はこの時間帯のものではなく、昼間に撮影。

食事を終えたメンバーが向かったのは、南三陸町の防災対策庁舎でした。昨年現地入りした私をはじめ、仕事で被災地に支援に行ったことのあるメンバーは、あたり一面が津波で流されてしまった1年前の風景を思い出しました。防災対策庁舎は、その建物の骨格と「防災対策庁舎」という看板だけを残して、夜の南三陸に今もなお佇んでいました。メンバーの中には今回が初めて現地入りした者もいて、被災した防災庁舎の前で、あの日起きた出来事を、凛として語る語り部・佐藤かつよさんのお話を伺いながら、涙ぐむメンバーの姿も覗え、心に訴求されるお話だったと、皆が切に感じました。



その後、宿舎にもどり、今日体験した出来事を皆で話し合って、翌日に備えました。

明日はいよいよ、南三陸町の福興市!これで初日の報告を終えます。

後半のレポートも、乞うご期待。

以上

報告:ひらま忠太(FB)・岩崎ポスト(TL)