3月11日に起きた東日本大震災は、被災地である東日本だけでなく日本社会、世界に及び大きな影響を与えた災害だと言えます。
大震災から3ヶ月が経過し、私たちは、それぞれ違う立場で行なってきた災害支援の活動をとおし、この震災への対応から、本当に必要な支援は何だったのか考える場を設け、震災支援報告と意見交換を行いました。
はじめに漆原が、東日本大震災の規模とボランティア活動の人数推移などから被災状況行われた災害支援について現状の確認を行いました。
次に、参加者の方々との情報の供給と活発な対話、議論が行われるように、実際に災害支援活動を行ったT2Sの庄司さん、ココハナprojectの石田さん、T2Sの平松さんから報告を行ってもらいました。
《T2S庄司さん南相馬支援レポート》
庄司さんは、震災直後、原発事故が収束をしていない中の南相馬市で行ったボランティア活動について、現地で撮影した写真を元に報告を行いました。庄司さんは、寄付や募金以外に自分の目で被災地の状況を確認し、何が出来るか?という思いがきっかけとなり、ボランティアに参加しました。現地の状況の説明の後、「これから何ができるのか?」という彼女からの投げかけがありました。現地で知り合った方々とつながりができ、支援しているとのことです。
◆なちゅらるふぁーむ 『もっけの幸』(南相馬市鹿島地区、小野田さん)
[参考]http://www.mokkeno-saiwai.com/
・お米、いちご、手作りジャム、きなこ、米粉の購入
◆おひさまカフェ のサポート(相馬市 大石ゆいこさん)
相馬・南相馬市内の避難所の方へ、カフェスペースの提供
《ココハナproject石田さん旭市支援レポート》
石田さんを中心にプロボノとして活動してきたココハナproject。代表の石田さんにお出でいただき活動の報告を行ってもらいました。石田さんと私はNissanLPIEというリーダーシッププログラムで知り合い、今回の震災を期に何かできないかということを連絡しあっていました。ココハナprojectは石田さんのアイデア、発想でいい思い出やこころの支援を被災地の方々へ行いたいということで、NissanLPIEのメンバーを中心として起こしたプロボノによるprojectです。
[参考]http://koko-hana.com/archives/category/home
ココハナとは・・・・被災者の心を華やかに
・ここ(被災地)に花を届けて
・できる人、個々が花を送ろう
であること。
を活動コンセプトとして
「被災された子供や地域に対して、できる限り地元の事業従事者を通じて、花を届ける」
「当たり前のことを生活の中に取り戻す一助となることで、地元経済の活性化を促すことを行動指針とする」
ということが石田さんの被災された方々への真摯な姿勢を感じさせる語り口で説明された。参加者も引き込まれるように聞き入っていました。
ココハナprojectの第一弾の活動である旭市飯岡地区への小学校入学式への花の贈呈の様子や、第二弾である香取市佐原地区おかみさん会との交流などの活動の報告がありました。
また、プロボノによる被災支援としてメンバー間のフェイスブックでの議論、情報交換や、それぞれメンバーの得意分野を活かした役割分担などの状況の説明。
(活動の状況は千葉県のHPでも掲載されています。)
http://www.pref.chiba.lg.jp/kouhou/miryoku/ganbaro/kekka/kekka007.html
最後に、T2S平松さんから、ご自身の災害支援の体験について報告がありました。自治体による被災地支援の状況と、それに従事した職員の目線による報告がされました。
3名の支援活動を行なってきた方々の報告の後、その報告者がファシリテーターとなり、参加者とダイアログを2回行いました。各グループ被災支援について掘り下げた対話が行われました。各グループの対話の結果は以下のとおりです。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《1ステージ》
[Aグループ]
・何かしたいが何ができるのか、迷惑にならないか心配だった。
・実践しているものや、取材内容を話してもらい、被災地や被災者を一元的に語ることはできず、復興に向けて様々なステージにいることを共有した。
・その上で、まずできることをする、それは全ての人に当てはまらないが、必要としている人が必ずいるからという結論となった。
[Bグループ]
・ボランティア、コーディネーターを育成する場が必要である。
・コーディネーターを行政の中から誕生させることはできないか?
・47都道府県で広域事務連合を結成させて、そこで育成する。
[Cグループ]
・被災地の地域コミュニティにいかに溶け込むかが、実は隠れた課題。
・仕事だと支援内容がドライになりがち。
・ただ、逆を言うと、仕事だからこそシステマチックに、持続的に支援が出来る。
・今はとにかく支援をする段階だが、時期が来たら、被災自治体が自ら復興の方向性を示せるような環境作りが求められるだろう。
《2ステージ》
[Aグループ]
・定期派遣は、都庁からの派遣は決まったことしかできず、やるせない。
・支援が有限であることから復興のビジョンが必要で、地元自治体に考えてもらいたい。
・都の支援では、ビジョンを考える体制作りも含めるべき、また派遣職員は、現地でも自治体職員にそのような意識をもつこと、一緒に議論することが業務に縛られない支援となりうると考えた。
[Bグループ]
・仕事として被災地に行った感想だが、罹災発行システムを市町村で統一すべき。
・各被災地で、サポートする側の”なわばり”が出来てしまっていて仕事がしづらかった。
・国からのお達しと現場とのギャップが多い。
・一人ひとりの職員の、仕事に対する意識の差がありすぎる。
・やる気のある人は、仕事で行ってもやることが無くなれば自分で仕事を作るが、必ずしも皆がそうとは限らない。
[Cグループ]
・個人として出来ることはなんでもやる。
・普通の生活を送ることそのものも、経済システムから考えると復興の一助。
・普通の生活をしながら、復興支援の一助となる活動をすることが、最もサスティナブル(単発的、散発的な支援よりも重要)。そのためには日々の買い物を工夫する。
・「官としても、民としても」という姿勢とともに、時には「官だが、民として」も重要な態度。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ダイアログ終了後、ダイアログの結果をシェアしイベントを終了しました。
イベント終了後も名刺交換や意見交換が行われその勢いで、別会場の交流会へと流れてお酒を飲んでリラックスした雰囲気で交流を行いました。
《このイベントを通して》
ダイアログを通じて、このような深刻な被害をだした大災害で、市民が何かやりたくてもためらってしまっているということを感じました。被害が深刻だから行動できない。不謹慎ではないか?迷惑ではないか?そんなことをして役にたつのだろうか?今回の参加者は都庁をはじめ官公庁の職員の方々が多かったのですが、このような傾向は組織の中ではもっと強いように感じました。組織の意向と役に立ちたいと思う職員とのギャップをどう考えるのか?そういったことが対話の中で深まってきたと思います。
ダイアログの中でもコメントがありましたが、普段から地域に出た活動や社会的な行動を行うことがこのような危機的な状況においても有効な対応ができると考えます。
また、様々な支援がある中で、義援金や寄付ということだけでなく被災された方々との交流を深めていく支援が、被災された方々や支援をする側にとっても有益なのではないかと思いました。様々な支援の情報がある中で、支援のあり方から普段の仕事、生活のあり方まで参加された方々に考えていただけたのではないかと思っています。
次回のイベントは、こう言ったことも踏まえて、市民活動が創っていく社会デザインについて、現場見学や現地の方々との交流も踏まえたプログラムとして行って行く予定です。政治不信、進まない震災復興、放射能汚染の問題、エネルギー政策など今の日本の社会に市民は大きな不安と失望感をいだいていると思います。震災復興を踏まえてこれからの社会をどのように創っていくのか?という問に対して、政治や今までのリーダーだけに任せるのではなく、市民の活動から社会を変えていくことも大きく期待されることと思います。
次回のイベントについては後ほど募集の案内をさせていただきます。今、どのように考え行動していくのか考えている方、どうぞご期待ください。
レポート:漆原隆浩
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