当日会場の様子 |
右:司会進行・塗田 左:議事録・島田 |
当日の司会進行を務めたのは、本企画の連絡調整も担当したT2S塗田さん。司会の開会によって、白熱「無縁」教室は始まりました。
第1部は、実際にNHK「日本の、これから」番組座談会に参加したT2S広報の平松が、渋谷のNHKスタジオでの白熱議論の体験を報告。無縁社会と自身との関わりについて、自らの経験談とともにプレゼンしました。
平松プレゼン:無縁社会と無縁なのか。 |
無縁社会について何か行動を起こすという議論には、「官か民か」という議論ではなく「官も民も」「官としても、民としても」(誰もが出来ることをやる)というスタンスが必要であることを述べました。
第2部は、T2S代表・漆原がファシリテーターを務める「都庁版・白熱教室@無縁社会」。無縁社会について参加者と「対話」を通じて、理解を深めていきました。
<以下、第2部議事録>
第二部は、まず参加者を4グループに分け、1人につき30秒間、「自己紹介」「無縁社会との関わり」「無縁社会を変えていくために自分ができること」を話し合いました。そのうえで、各グループの代表がグループ内に出た意見を発表しました。
グループ1(構成員は大学生3分の1、会社員、教育者):
「縁の薄れをいろいろな場面で感じていて、何かしらの縁を私たちは求めている。また、縁の種類で言うと、血縁<社縁、社縁<また別の縁となっている。」
グループ2(構成員はほとんど公務員):
「無縁社会とは無縁ではないというのがグループ内の共通認識で、それが土台となっていました。また、ネットワークがキーワードにもなりました。」
グループ3:
「無縁社会とは無縁ではないとう考えが挙がりました。また、血縁は維持されているが地縁が薄れているという意見も出ました。」
グループ4:
「自分は無縁ではない、という点がメンバーの共通認識でした。特定の弱者が無縁になるのではないでしょうか。」
各グループでのブレストができたところで、都庁版・白熱教室のスタートです!
《以下、白熱教室》
漆原:
ファシリテータ-を務めるT2S漆原(右)と平松 |
無縁社会って何なんでしょうか。今日は、このテーマについては話しあって、できれば1カ月後に2回目を開催して今回の議論、対話の中から私たちが実際に何ができるのかを一歩踏み出してみたいと思っています。
NHKの座談会の中ではこうすべきを議論しましたが、私たちは、無縁社会について議論し、考えを共有し、さらに先へと進んでいきたいと思っています。
現代は、自由、平等、経済的豊かさという、人類が求めていたものを得られている時代になりました。なのに、無縁社会になってしまったのでしょうか?そして、無縁社会とは何なのか、全体で話をしていきたいと思います。」
では、そもそも縁とは一体何なのか。「これ何かの縁」のときは「運命」的なニュアンスだし、「縁起が悪い」の「縁」は仏教からきています。
サラリーマンは、社縁を大事にして、会社のために働いてきました。しかし、終身雇用制度が失われて、成果主義が台頭すると、会社にはサラリーマンの居場所がなくなります。そこで家に帰ってみると家庭でも居場所が無いってことになります。
先日、サンデーモーニングで倉本聰さんがある映画について言及していました。その映画の中では、現代を目の当たりにした帰還兵が「俺たちは何のために戦ってきたんだ」と叫んでいました。倉本氏は、人間はもはや「ホモサピエンス(賢い)」ではなく、「ホモサスペンス(不可解)」であるのです。
また新渡戸稲造の武士道の精神では、「思いやりと自己犠牲の追求」であるといっています。
そもそも自己犠牲とはなんでしょうか?犬は、社会性のある動物と言われます。私事にはなりますが、先日、庭にいる犬に餌をあげていたら、どこからともなく子犬がやってきてその餌を食べてしまいました。でも、私の犬は全然怒りません。そんなことが2回も続きました。つまり、私の犬は子犬に餌を食べさせていたのです。私の犬はオスなので、その行為は母性とは関係ありません。弱者に対しては施しを与え、自分は我慢するという行為は社会性をもった動物の遺伝子ではないでしょうか。
また、スティーブンスピルバーグの映画 「A.I」の中には主人公に尽くすことで満足感を得るロボットが登場します。このように他人との関係性の中に満足感を得ることが人間の本質ではないでしょうか。」
では、つながりを持つということは何でしょうか。無縁社会とは一体何でしょうか。皆さんのご意見をお聞かせください。
「無縁社会はありえません。つながりが極端に薄くなって、物理的な縁以上のレベルに到達しないのが無縁社会と言われているのです。現代は豊かさが達成されて人々は強く繋がる必要がなくなったのです。」
漆原:
「いま世の中に300万人いるといわれている引きこもり、不登校はどうでしょうか。また、実際に孤独死もあるわけです。」
男性:
「縁を意識的に拒否したのが引きこもりです。しかし、現代社会はそれでも生きていくことができる。引きこもりはこれまでの人間性を否定し、縁を意識したくないという思いの表れです。これまでの社会は縁を持たないと生きていけなかった。しかし、現代社会は縁なしでも生きていける。逆に、煩わしくさえもある。引きこもりは、縁と程々に付き合えないので、見えないネットワークの中で生きていくことで自分の世界を創り上げているのです。」
男性:
「情報過剰な社会で人の心は疲れている。その結果、私たちは周りに関心を持てないでいるのです。」
男性:
「『空気と戦争』に書かれていたが、日本には社会がなくて世間があった。世間では人々は同じ時間を過ごさないといけなかった。また、経済的にも世間に属さないと生きていけなかった。しかし、自由を求めて経済的な豊さを達成すると、周りにはだれもいないという状況になっていた。
また、引きこもりや今の若者は友達をご飯にも誘えない。それは、いくら自分が寂しくても誘った結果、断られるのが怖いからである。そういう考え過ぎるとことがある。
男性:
「昔は、情報を得るために縁が必要であった。しかし、現代では家にいながら様々な情報にアクセスできる。人とインターネットを天秤にかけた場合、インターネットの方が簡単に関係を断ち切れる。」
女性:
「『人間の器量』の中で「日本人はなぜ小粒になったか」という問いに対して、著者はその答えを「それは人を育てなくなった」としている。仕事においても、上司は誰にでもできる表面的なことは教えるが、心の内面にまで踏み込んでいかない。また、出世欲のある人は上ばかり目指し、下を見ない。だから、自分にとって有益な縁は大事にするが、無益な縁は大事にしない。」
漆原:
「縁が面倒くさいという意見が出ました。また、ネットがあるのだから、そもそも縁はいらないのではないか、という意見も出ました。縁って一体何なのでしょうか。情報を得るための縁、自らのパフォーマンスのための縁という考えを含めて縁とは何かについて考えたいと思います。」
男性:
「縁とは道楽ではなくて、生きるために必要なものである。その昔、人は農業、狩猟を一人ではできなかった。しかし、今はそんなことはない。その結果、縁は道楽に切り替わった。この中で近所の回覧版の名前を全員言える人はいますか。
(全員知っている人はいなかった)
当時は、ほとんどの人が全員言えました。しかし、今はその逆でほとんどの人が言えなくなっている。無縁社会において過去と大きく違うのは近所付き合いです。では、なぜこんなに近所付き合いが変わったかというと、それは必要がないからです。」
男性:
「ここに集まっている人々は無縁社会でも困らないが、ただそれが好ましく思っていない人々である。かつては、学校という情報を得るために、小学生を家庭にもつ人々はつながっていた。ただ、現代は自分にとって都合がいいかどうかでコミュニティを使い分けている。子どもたちも公立に入ったり、私立に入ったりしているため、バラバラになりそこからネットワークをつなぐのも大変である。たとえ同じ地域であってもつながりがなければ無縁社会である。」
男性:
「自分にとって都合のいいものが縁だとは思いたくない。人は好き嫌いに関係なくコミュニティの中にいる。誰かが困っているから助ける。それがコミュニティである。コミュニティを利益・不利益で考えるから無縁社会という言葉がでてくるのだ。この地球に生きている皆同士に縁がある。地球の裏側にいる貧困をどうにかしたいと思うのは何故か。それは、私たちがつながっていて、助けたいと思うからだ。負も正も含めて、縁が必要である。」
漆原:
「しかし、今の社会はそういう風に思えなくなってきたのではないでしょうか」
女性:
「縁とはコミュニケーションです。「縁」という言葉を作った人間が「無縁社会」を作った。現代は情報がたくさんあるので、人との疎通をしなくてもよくなった社会である。」
漆原:
「メールとか、昔の人と比べると、めちゃくちゃコミュニケーションしてますよね。」
女性:
「でもそこにはface to faceのコミュニケーションがない。また、メールなら何回も書き直せる。」
漆原:
「TwitterやFacebookは流行ってますよね」
女性:
「多くの人は最先端の技術に飛びつく。メディアの作った流れに乗ってしまっているだけではないか?それがいいことかどうかはわからない。」
男性:
「若者はface to faceのコミュニケーションを難しく感じ、恐れている。」
漆原:
「何故でしょうね。若い人の中では、目を合わせられない人が多いんですよ。」
男性:
「自分を否定されるのが、怖いのではないか。」
漆原:
「私は逆で、人と会っていた方が、元気になる。」
「現代は、自己完結型の人間が多い。ひきこもっていても許す親がいる。昔は電話の方が怖かった(会場笑い)。でも、どんなに嫌なことでも立ち向かっていかなければならなかった。今はみんな軟弱になっている。」
男性:
「若い人は、本当は繋がりたがっているではないか。」
漆原:
「人は無縁社会とは無縁になれない。なぜ、社会はつながりを持とうとしなくなったのか」
男性:
「海外のどの民族でも国でも、社会を構成する上で、縁を持たざるをえない。しかし、アフリカでも情報化社会が押し寄せ、人とのつながりは疎遠になりつつある。マサイ族は携帯を皆持っていて、かつての井戸端会議もなくなりつつある。無縁社会は全世界の普遍的な問題である。では、なぜ日本だけがこの問題をクローズアップしているのか。日本の場合、対立や批判を避け、協調性を図る文化がある。メールやTwitterも何度も書き直しができるため、そこに批判が生まれることは少ない。日本の文化あってこその無縁社会である。」
男性:
「人はなぜつながろうとするのは、本質的な問題で、そこに理由はない。それほど人間にとって当たり前の行動である。心の奥底では人とつながっていたいのに、周りの人に関心が持てない人たちが、メールやTwitterに逃げている。」
漆原:
「ひょっとしたら引きこもりや核家族の人たちもつながりたいと思っているのではないでしょうか?社会とつながる何か良いきっかけはありますか」
男性:
「それは心に関する再教育です。私が子どもの頃、家の近くの見ず知らずの土木作業員が笑顔で私に「いってらっしゃい!」。と言ってくれました。そうすると、私も嬉しくなって「行ってきます」と答えるわけです。こういう嬉しいなって思える心のつながりが縁なのです。毎日立ち寄るコンビニの店員が「今日は暑いですね」って言ってもいいわけなんですが、今の社会にはそれがない。でも、そう言ったやり取りはメールではできません。」
男性:
「「おひとりさま」で死ぬ権利もあるのでは?TVは恐怖感を煽るような報道をしている。理念的な話は生産的ではない。無縁社会は問題かどうか、問題だとしたらどうするのかを話し合っていきたい。」
漆原:
「無縁社会はそもそも問題なのでしょうか。」
男性:
「私は13年間、引きこもりについて取材を重ねてきました。昨年、これからの社会を予見するような事件が発生しました。それは、秋田県で50歳のひきこもりが、30年間引きこもった末に父親に殺された事件です。近所の人も、民生委員の人も引きこもりの存在を知りませんでした。40代以上の地域から孤立した壮年者が世の中にはたくさんいます。今の社会は彼らが一度社会から離脱すると、もう戻れない仕組みになっています。なぜ戻れないかというと、そこに罪悪感があるからです。「怒られるのではないか」「自分が責められるんではないか」「自分は、家の恥なのではないか」と引きこっている人は思うわけです。その結果、ひきこもり当事者も、その家族も、周囲とのつながりが希薄になっていきます。「甘えていいんだよ」「相談していいんだよ」という社会に変えていかなければなりません。」
漆原:
「極端に思えるけど実は意外と多い、このような人たちを何とかしたいですね。生活に困っている人は生活保護の受給資格があるにも関わらず、当人が申請してはいけないのではないかと思っています。だから、どこの誰に申請したらいいかもわからない。でも、なんで人は引きこもるのでしょうか。」
女性:
「私は中学生で引きこもりになってしまった女の子を知っています。この子はしっかりしてる子」と周りから言われて育った子でした。でも、クラス替えで仲の良かった友達と別れて自分を守ってくれる人がいなくなってしまい、次第に孤立していき、ついには引きこもるようになってしまいました。今は、意見のぶつかり合いやケンカしたことない人の方が多い。Yesマンばかりの社会のように思われます。」
漆原:
「スクールカーストはありますね。ここでは上の人には逆らわなく、いい子ちゃんであろうとする。この状況に対して大人は何ができるのか。また、ひきこもりの高齢化も問題です。引きこもりが社会全体に蔓延しています。なぜそういう状況になってしまうのか??
スライド「出来ることから、やってみる」 |
皆さん、多くの意見をもらっても十分に吐き出せない部分が多いと思います。このままでは終われないと思います。今の無縁社会の問題をどう捉えていくべきか。本日、問題点を皆さんで共有したうえで一か月後に何をもって前に進めるかを考えていきたいと思います。
芥川龍之介の著書に『杜子春』という話がありますね。戦後60年が経ち、豊かさを手に入れた私たちは杜子春のように、大事なものを見失っているのではないでしょうか。私は無縁社会の座談会に出席し、無縁社会とは決して無縁ではない、と気づきました。最近、親にも電話していません。また、このような活動をしているため息子にもなかなか会えてません。無縁社会の当時者としての自分が何をできるのかを考え、私はいまGo-en projectを計画しています。そこで、皆さんにも次回の無縁社会の白熱教室までの無縁社会の当事者として何ができるかを考えてきてほしいと思っています。」
「漆原さんのまとめの後で恐縮ではございますが、私にも一言言わせてください。確かに、現代は一人でも生きていける世の中です。しかし、縁は大事にしていきたいものです。予測では2030年の男性未婚率は3割、女性未婚率は2割になると言われています。社会が持続可能であるためにはこれではやっていけません。やはり人間あっての社会なのです。Twitterではなく、リアルなつながりをもった社会を目指していかなければならないのです。TBSの報道によると持続可能な社会の先駆けでもあるデンマークではいま無縁社会が深刻化している、とのことでした。」
(ここで時間終了)
議事録レポート:島田一樹
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